軸装(紙本墨書) 「以禮義爲交際之道、 以廉恥爲律己之法。遊息于是、朋友見欽而不敢欺、妻子取法而不敢侮。盡思患預防之理、所以譬之四維。其可廢而不張乎。 安政丁巳歳 上巳日 有梅 堀熙 書」
堀利煕 文政元(1818)年~万延元(1860)年。安政元(1854)年に箱館奉行となり、樺太・蝦夷地の調査・巡回を行いました。安政5(1858)年には外国奉行に就任し、神奈川奉行も兼任して諸外国との交渉にあたりました。通商条約では日本全権の一人として署名しています。万延元(1860)年、プロイセンとの交渉において秘密交渉などの疑いをかけられ、幕府から追及されました。堀は弁解も行なわず、プロイセンとの条約締結直前に切腹しました。