「第拾七号 貌利太泥亜コンシユル エスクワイル エーブル・エヂ・ガワル
第拾三號之書牘披見せり、トロン、ケミス并ホワイトリー掘取たる森村土人共之遺骨返却方之儀ニ付縷々被申越候おもむき其意を了せり、右ニ付去ル十九日支配調役海老原庫太郎其領内江差遣し候処、兼て同僚小出大和守よりも及懸合置候通り、全骸骨壱頭骨三ツ外體骨共都合三箱被引渡、其箇り箱類等はすへて貴翰之通無相違旨申し、右者全く貴下之厚意周旋ニ而骸骨類不残取戻し相成復葬之期を得、今日落着之挙におよひし段予におゐて満足せり、右遺骨は森村役人共呼出速に渡方取計ひ土人共之心意を安んし候様可致候、此段回報如斯候、謹言
慶應三年卯四月廿二日 杉浦兵庫頭(花押)」